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大阪地方裁判所 昭和40年(ヨ)2406号 判決

申請人 阿部厚

被申請人 大阪変圧器株式会社

主文

一  申請人が被申請人の出向従業員として福岡県宗像郡福間町所在申請外九州変圧器株式会社に勤務する雇用契約上の権利を有する地位を仮に定める。

二  被申請人は申請人に対して昭和三八年一一月二七日以降申請人において九州変圧器株式会社から賃金の支払いを受けるに至るまで毎月末日限り一ケ月当り金三一、九〇〇円の割合による金員を支払え。

三  申請人のその余の申請を却下する。

四  訴訟費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一当事者双方の求める裁判

申請人訴訟代理人は、主文第一項と同旨ならびに「被申請人は申請人に対し金一三八、六〇〇円および昭和三九年一月以降毎月末日限り一ケ月金三一、九〇〇円の割合による金員を支払え。申請費用は被申請人の負担とする。」との裁判を求めた。

被申請人訴訟代理人は、「本件申請を棄却する。」との裁判を求めた。

第二申請人の主張

一  当事者

被申請人(以下「会社」または「大変会社」ともいう)は、変圧器、溶接機などの製造販売を業とする会社であり、申請人は、九州大学工学部を卒業後昭和三二年三月に会社に雇用され、同年四月からその福岡分工場に勤務していたところ、昭和三四年一〇月被申請人と九州電力株式会社との共同出資によつて右福岡分工場を母体として九州変圧器株式会社(以下「九変会社」という)が設立されると同時に大変会社は休職となり、それ以降大変会社の出向従業員として右九変会社に勤務していたものである。

二  出向解除および解雇

被申請人は、申請人に対して、昭和三八年一〇月一日付をもつて右出向命令を取消し、同月二一日から大変会社勤務を命じ、さらに申請人が右命令に従わないことを理由として同年一一月二六日付をもつて解雇の意思表示をした。

三  出向解除および解雇の無効

しかしながら、右出向解除および解雇の意思表示は、被申請人において申請人の労働組合活動を嫌悪し、申請人の所属する労働組合の組織と団結を破壊しようとする目的にもとづくものであるから、労働組合法七条一、三号に違反し無効である。

すなわち、

(一)  申請人は、昭和三二年一〇月に大阪変圧器労働組合(以下「大変労組」という)が結成されると同時にその組合員となり、同年一二月から昭和三三年四月までその九州支部執行委員をつとめ、同年五月から昭和三四年五月まで同支部(但し、昭和三四年から九州分会と改称)書記長兼本部代議員を、同月から同年九月までは代議員を、それぞれつとめた。そして、同年一〇月に九変会社が設立されたのちは九州変圧器労働組合の結成に参加し、昭和三五年七月まで同労働組合書記長を、昭和三六年八月から昭和三七年七月までは同労働組合(同年三月から、総評、全国金属労働組合に加入して、総評全国金属労働組合福岡地方本部九州変圧器支部と改称)執行委員を、同年八月から昭和三八年九月まではその書記長をそれぞれつとめ、同年九月以降は同労働組合(同年一〇月に総評全国金属労働組合福岡地方本部古賀地域支部九州変圧器分会と改称。単に「組合」または「第一組合」という。)の副委員長をつとめて現在に至つている。また、同年九月には右福岡地方本部の執行委員に、同年一〇月に地域の労働組合と連携して右古賀地域支部が結成されてからはその書記長に、それぞれ就任して現在に至つているものであり、組合の中心的活動家として終始熱心に組合活動を続けてきたものである。

(二)  被申請人は、申請人の労働組合活動を嫌忌してそれをやめさせ、ひいては組合を弱体化するためにかねてより種々の方法を講じてきた。

(1) 昭和三三年一一月に大変労組の上部団体加入を決定する大会が開かれた際、組合代議員として上阪した申請人に対して会社の常務取締役大矢知栄蔵(現在九変会社代表取締役)は全日本電機械器労働連合会に加入を主張するよう説得し、申請人が九州支部の決議に従つて総評全国金属労働組合への加入を主張したところ、会社の福岡分工場長池口清は、申請人を呼びつけて「以後組合活動を続ける限り将来の保証はできない」「技術者は組合活動をすべきではない」などと激しく叱責した。

(2) 大変会社勤労課次長の田嶋富夫は、昭和三五年頃から嘱託として九変会社の労務関係事務も兼任することになり、申請人あるいは組合の活動に対する介入行為を繰返してきた。すなわち、(イ)昭和三五年五月頃、大変会社勤労課長前沢慶郎と共に、申請人を福岡市内の料亭「静」に招いて、大変会社と大変労組との間に結ばれていた労働協約(それは組合の争議権の行使を事実上著しく困難にするような条項を含んでいた)と同じ内容のものを九変会社と組合の間でも締結するよう要請し、(ロ)昭和三六年四月頃、組合に対して大変会社と大変労組との間の労使協議会、団体交渉を見学するよう要請し、これに応じて上阪した組合員に対して必要以上の金品を与え、(ハ)同月頃、申請人、坂本博(当時の組合執行委員長)および田中賢次(同書記長)を右料亭「静」に招いて、春季賃上げ闘争を妥結させるよう裏面工作を行ない、(ニ)同年五月下旬頃、申請人および坂本博に対して、賃上げ闘争妥結への努力に対する謝礼と称してコーヒーセツト、旅行用かばんを贈るとともに、申請人に対して組合の次期役員についての希望などを述べた私信を送つたりし、(ホ)同年一〇月一日、申請人、坂本博および田中賢次を福岡市内の旅館「菁音」に招待して組合活動に関し今後の協力を要請し(ヘ)昭和三七年三月二七日、申請人および湯川勝夫(当時の組合執行委員長)を福岡県宗像郡福岡町の旅館「広丸別館」に招き、組合が全国金属を脱退するように要請し、(ト)同年四月頃、申請人および湯川勝夫を右旅館「菁音」に招いて春季賃上げ闘争の妥結を要請し、(チ)同年六月頃、申請人および湯川勝夫を旅館「菁音」に招き、九変会社に入社予定の陣内尚武を紹介して今後の協力を要請した。

(3) 会社は、同年七月には陣内尚武を九変会社に労務担当の職制として送りこみ、田嶋富夫らと共に申請人の組合活動阻止のための策謀を行なつた。すなわち、同年一一月二四日に田嶋富夫が申請人に対して組合活動をやめるよう、そのために会社に転勤するよう説得し、翌二五日には大変会社の常務取締役兼変圧器事業部長の宇野秀顕が、申請人を福岡市内の「花福旅館」に招いて同様の説得を行なつた。そして、昭和三八年三月下旬頃、右宇野秀顕は、申請人に対して、「前にもはなしたことだが、組合活動はもうやめた方がよい。といつても、九州にいながら会社側に鞍替えするわけにもいくまいから、早く大阪に来たらどうか。」と述べ、またその頃、田嶋富夫は、申請人に対して「光は闇をつらぬいて」なる書物(労働組合のない会社を讃美する内容を含むもの)を贈呈した。また、同年四月一〇日頃に田嶋富夫が申請人および湯川勝夫を旅館「菁音」に招いて、春季賃上げ闘争をストライキ突入前で妥結させるよう要請したが、組合が同月二五日に結成以来初めての一二時間ストライキを決行したところ田嶋富夫はその直後申請人に対してストライキ突入を非難した。

(4) かかる経過ののちに、同年七月九日に九変会社代表者大矢知栄蔵から申請人に対して大変会社本社へ転勤するよう要請があり、申請人が、組合に対し総評全国金属から脱退させるよう圧力のかかつている現在の段階で組合役員を辞任することはできず、次期役員にも立候補の予定である旨事情を説明して右要請を拒絶したところ、同月二二日には、大矢知、陣内、田嶋の三名から、次期役員に立候補しないで大阪転勤に応じること、申請人が反対しても同年八月一日付をもつて辞令を出す旨申渡された。

(5) 一方、田嶋富夫、陣内尚武は、同年七月二二日、組合内部で執行部に批判的な考えを持つている中宅間昇ほか四名を福岡町の料亭「千鳥荘」に呼び、申請人らに対立して組合役員に立候補するよう説得し、さらに、田嶋富夫は、同年八月頃、陣内尚武に対して電話で「阿部を組合から駆逐する対策をたてよ」と指示した。その結果会社側の策動などにより、申請人の本件出向解除の問題を決定するため開かれた同月一〇日の組合大会において、あらかじめ計画していた二四名の組合員は申請人の出向解除に反対する執行部提案の撤回を要求し、それがいれられないとみるや大会場から退場し、翌日二七名が組合から脱退し、その後会社は陣内尚武を通じて右脱退者のグループと連絡をとつて組合の分裂工作をすすめ、同年一〇月五日には中宅間昇ほか二六名によつて第二組合が結成されるに至つた。

(6) そして会社は申請人に対する本件出向解除をしたのちは、第一組合の団体交渉の申入れには応ぜず、一方では第一組合弱体化の工作をすすめて、本件解雇に至つたものであり、同年一二月七日には第一組合員は四三名に減少し、第二組合員は四一名を数えるに至つている。

(三)  以上で明らかなとおり、会社は申請人の組合活動を嫌悪し、また組合を弱体化させるために申請人の出向を解き会社への出社勤務を命じたうえこれに従わないことを理由として申請人を解雇をなしたものであるから、本件出向解除ならびに解雇は不当労働行為として無効である。

(四)  なお、被申請人は、本件出向解除は会社の技術上の必要によるものであるとその理由をるる主張しているが、当時申請人の出向を解除しなければならないような緊急の必要性があつたとはとうてい認められず、右は会社の前記意図を陰蔽するための口実にすぎない。

四  被保全権利と仮処分の必要性

(一)  申請人は本件解雇当時に被申請人より一ケ月金三一、九〇〇円の賃金の支払いを受けていたものであるが、被申請人は、申請人に対して、昭和三八年一一月分の賃金の不足分金八、〇〇〇円、同年度年末一時金九八、七〇〇円および同年一二月分賃金三一、九〇〇円の合計金一三八、六〇〇円を支払わないほか昭和三九年一月分以降の賃金を支払わない。

(二)  よつて申請人は、被申請人に対して雇用契約存在確認の訴を提起するよう準備中であるが、申請人は賃金によつて生計をたてているものであるから、本案判決の確定をまつていたのでは回復することのできない損害を受けるおそれがあるので、本件申請におよんだ。

第三被申請人の答弁および主張

一  申請人主張の一および二の事実は認める。

二  申請人主張の三および四の事実は争う。

三  出向解除および解雇の理由

(一)  大変会社は創立以来小型変圧器の専門メーカーとして知られてきたものであるが、電力会社その他の需要が小型変圧器から大型変圧器に移行してきたのに伴ない、会社は昭和三七年頃から外国の会社と技術提携するなどして大型変圧器製造のための準備を整えてきた。そして、会社は同年七月に大型変圧器技術者の教育計画を決定し、昭和三八年一二月から実施することとした。

(二)  申請人は長らく大変会社本社を離れて九変会社に出向中であつたが、会社は、申請人の将来性を考え、大学卒の設計技術者である申請人を大型変圧器設計中軸者とするため、右昭和三八年一二月からの教育計画に参加させるよう予定していた。会社としては、申請人を大変会社に復帰させて暫時変圧器事業部製造第三課に所属させ、大型変圧器勤務になじませたうえ、右教育計画に約二年間参加させるつもりであつた。

(三)  九変会社においても大型変圧器製造の必要性は大変会社の場合と同様であつたが、九変会社においては技術者の水準などから直ちにその製造態勢に入ることは困難で、基礎的技能を習得した者に対して大型変圧器製造技術の特殊教育を与えることによつて将来の中軸となる技術者を養成しようとしていた。ところで、九変会社においては大学卒の若手技術者は申請人だけであつたので、九変会社は、昭和三八年七月、大変会社に対して申請人を大型変圧器技術者教育に参加させるよう依頼してきた。

(四)  以上の次第で、会社は、同年八月一日付の大量人事異動にあわせて申請人に対し前記技術者教育に参加するため大変本社に復帰するよう説得したのであるが、応じないので、同年一〇月一日付で出向を解き同月二一日から会社に出社勤務を命じた。そして会社はその後も申請人に対してこれに応じるよう再三説得したのであるが、申請人は遂にこれに応じなかつたので、会社は就業規則四八条六号(四八条 会社は従業員が次の各号の一に該当すると認めたときは解雇する。(6)会社業務の運営を妨げ、又は著しく協力しないとき)を適用して申請人を解雇したものである。

(五) 申請人の上司、先輩から申請人に対し大変本社への転勤に応じるよう種々説得や忠告が行なわれたことは想像されるが、それはあくまでも申請人に対する友情や好意によるものである。これを一連の不当労働行為であるとの申請人の主張は曲解も甚しい。

四 申請人の主張する賃金請求権について

申請人は自己主張するとおり九変会社への出向従業員であつたのであるが、出向従業員は会社就業規則四二条三号により大変会社は休職となり、休職期間中は無給となる。申請人は出向期間中は九変会社に対して労務を提供し、同会社から賃金を得ていたものである。したがつて、申請人が主張するように出向従業員としての雇用契約上の地位を求めるならば、その賃金請求は九変会社に対してなすべきであつて、大変会社にはその支払義務はない。

第四疎明〈省略〉

理由

一  申請人主張の一および二の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、本件出向解除および解雇の意思表示の効力について検討することにする。成立について争いのない甲第八一ないし第八三号証、第八八号証の一、二、申請人本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる甲第五ないし第一一号証、第八四号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第六八号証および証人湯川勝夫、同田中良次、同林正、同田嶋富夫の各証言ならびに申請人本人尋問の結果を総合すると次の事実が認められる。

すなわち、申請人の主張三(一)記載のとおり組合結成以来組合の書記長や副委員長などを勤め終始その中心的な活動家として労働組合運動を続けてきたものであるところ、申請人が昭和三三年一一月に大変会社福岡分工場の組合を代表して大変労組が総評全国金属労働組合に加盟するよう主張したことについて当時の福岡分工場長池口清(後に九変会社工場長)が「君はえらいことをしてくれたそうだな」「君みたいな技術屋が組合運動なんかするな」などと叱責したのをはじめ、大変会社の総務部勤労課次長であり、昭和三四年末頃から九変会社の嘱託をも兼任した田嶋富夫は、昭和三六年四月頃申請人、坂本博(当時の組合執行委員長)および田中賢次(同書記長)を、翌昭和三七年四月頃に申請人および湯川勝夫(当時の組合執行委員長)を、いずれも福岡市附近の料亭あるいは旅館に招いて春季賃上闘争を妥結させるための裏面工作を行なつたり、あるいは昭和三六年五月頃申請人、右坂本博に対してコーヒーセツト、旅行かばんを贈つたりするなど、申請人をはじめ組合の執行部に対して種々懐柔策を講じた。また右田嶋は昭和三七年三月組合が総評傘下の全国金属労働組合(以下全金と略記)に加入したのを知るや申請人を旅館に呼寄せて右全金加入を非難し九変社長が全金加入を嫌つているから全金より脱退するよう勧告した。そして、昭和三七年一一月には右田嶋および大変会社常務取締役の宇野秀顕が福岡に赴き、同月二四、二五日の両日、両人から申請人に対して「もうそろそろ組合活動から手を引いてもらいたい」「九州にいてすぐ手を引くわけにはいかんだろうから、しばらく大阪に行つてほとぼりをさまして来い」と組合活動をやめさせるために申請人を大変会社へ転勤を勧め、その後も昭和三八年三月頃に田嶋が申請人に電話したり、同月末頃に宇野秀顕が大阪に出張した申請人を寿司屋へ招いたりして、引続き申請人に対して組合活動をやめるよう勧告を行なつた。その後同年四月頃に田嶋は申請人および湯川勝夫を福岡市内の旅館に招いて賃上げ闘争を円満に妥結させてほしい旨の要請を行なつたが、その後間もなく組合が結成以来初めてストライキを行なつたところ、田嶋は電話で申請人を非難した。

右のような経過を経たのち、同年七月九日に九変会社代表者の大矢知栄蔵から申請人に対して始めて大型変圧器の技術習得の要請とともにそのために大変会社へ移つてほしい旨の要請があり、同月二二日に田嶋富夫や九変会社の勤労課長陳内尚武らから重ねて申請人に対し右の要請とあわせて翌二三日が立候補締切日となつていた組合の次期役員選挙に立候補しないよう要請がなされた。そして、同月二二日に田嶋及び陳内は、組合内部で執行部に対して批判的な考え方を持つていた中宅間昇らを九変会社所在の福間町の料亭に招いて、組合役員選挙に申請人らに対立して立候補するよう依頼し、さらに田嶋は同年八月頃に陳内に対して申請人を会社の意に従わせる工作をするよう指示した。そして最後に宇野常務は同月末と翌月始め頃に二、三回に亘り申請人に対して組合活動から身を引くよう若し組合活動を続ける意思を棄てないのなら会社をやめるべきであるとの申請人に対し最後的な態度決定を迫る趣旨の手紙を送つた。そして右宇野常務の手紙に対し申請人が返答をしなかつたところ、同年一〇月一日本件出向解除命令が出された。以上の事実が認められ、右の事実によると会社は将来中堅技術者たるべきものとして援用した申請人が何時までも会社側の意に反する組合活動を続けるのでそれをやめさせ会社側に戻すことに腐心していたことを推認するに充分であり、田嶋らの申請人に対する前記勧告などをもつて先輩としての個人的立場から行なつた好意的な忠告とは到底解することはできない。

ところで被申請人は本件出向解除を大型変圧器製造計画実施に伴う技術教育のための必要上行なつたもので純然たる企業経営上の要請によるものであると主張するので考えるに成立について争いのない乙第五号証の一、二、第六号証、第一七号証の一、二、第一九号証の一ないし三、証人大矢知栄蔵の証言により真正に成立したものと認められる乙第八号証、証人清水幸四郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第二〇、第二一号証および証人池口清、同大矢知栄蔵、同清水幸四郎、同田中良次の各証言ならびに申請人本人尋問の結果を総合すると次の事実が認められる。即ち、被申請人(大変会社)の変圧器事業部は、従来小型ならびに中型変圧器の製造を主にしていたが、業界の需要が大型変圧器へと移行するに伴ない漸時大型変圧器の製造、修理にも力を注ぐようになり、昭和三七年頃からフランスのサバージヤンヌ社などと技術提携したり、技術者を海外へ派遣したりしたほか、同年九月には大型変圧器のための技術者教育計画を立案していた。一方、九変会社は設立以来柱上変圧器など小型変圧器の製造、修理を主たる業務としていたところ、昭和三八年二月頃に大型変圧器の製造に着手することが具体的に決定され、同年五月には大型変圧器組立工場の建設に着手した。ところで従来九変会社において変圧器の設計技術者は申請人一人であり、申請人は小、中型変圧器の設計に従事してきており、一、〇〇〇ないし一、五〇〇KVAの変圧器の設計は可能であつたが、それ以上大型の変圧器の設計を行なうには本件出向解除当時の申請人の技術では不充分であつた。そして、九変会社は設立以来大変会社から技術指導を受けつつ業務を行なつており、設計についても同様であつたような関係から、昭和三八年七月一五日付の書面で、九変会社より大変会社に対して申請人に大型変圧器の担当技術者として必要な技術の習得を依頼する旨の書面が出され、これに呼応するように本件出向解除命令が出された。以上の事実が認められ、右の事実によると本件出向解除にも一応相当の理由のあることは否定できない。ところで更に被申請人は「申請人の出向を解く問題は昭和三八年七月になつて突然に生じたことではなくその前年の昭和三七年九月に立案された会社の技術者教育計画においてすでに申請人はその対象者の中に含まれていた」と主張し、証人清水幸四郎は当公廷において被申請人の右主張を裏付けるような証言をしているが、他方証人大矢知栄蔵の証言および申請人本人尋問の結果によれば、申請人が右教育計画の対象者に予定されていたことについては、本件出向解除の問題が生じた昭和三八年七月までには申請人本人には勿論九変会社の代表者である大矢知栄蔵にも知らされていなかつたことが認められ、若し仮に右清水証言が真実とすると大矢知証人はことさらに事実を秘匿しているものという外はなく、その間に何等かの作為があるとの疑念を挿しはさまざるを得ず、即ち本件出向の解除には前記教育計画上の必要以外に公に出来ない何等かの事情の存在を疑わせるものがあるから、かゝる事情をさきに認定した諸般の事実に併せて考えると会社は予てから会社の意に反する組合活動を続ける申請人に対し組合活動から手を引かせるため色々な手段を考えていたところ、たまたま大型変圧器製造のための教育の問題が生じた機会にこれを利用して申請人の九変会社への出向を解いたものであり、その主眼とするところは申請人の組合活動をやめさせるにあつたものとみるのが相当である。

そうすると本件出向の解除及びこれに伴う会社への出勤命令は、被申請人において申請人の労働組合活動を嫌悪し、それをやめさせることを企図してなされたものと認められ、かつそれが申請人に対し経済上の不利益を与えるものではないにしても、組合活動の点からはマイナスとなることは上記認定の事実から明らかであり、これをもつて労組法七条第一号にいう不利益な取扱と解するを妨げないから、労組法第七条第一号所定の不当労働行為として無効のものというべきであり、申請人がこれに従わなかつたにしてもそれを理由に申請人を問責することは許されないから、それに従わないことを理由としてなされた本件解雇の意思表示もまた前記法条に該当する不当労働行為として無効のものというべきである。

三  そうすると、申請人は被申請人に対し本件解雇後もなお被申請人の九変会社への出向従業員としての地位を有することを主張することができ、かつ九変会社が申請人を大変会社の出向社員として受入れ賃金を支払うに至るまでは被申請人に対し賃金請求権を有するものというべきである。(成立について争いのない甲第二号証および乙第一九号証の二、乙第一九号証の二によつて真正に成立したものと認められる乙第二、第三号証によれば、申請人が九変会社への出向従業員となつたのちは大変会社は休職、無給となり、その代りに申請人は出向先の九変会社に対して労務を提供し、九変会社に対し賃金請求権を有することと定められていた事実が認められる)

ところで弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第六五号証、申請人本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨によれば、申請人は被申請人の出向従業員として九変会社に就労する意思を有しているのに、本件出向解除および解雇の意思表示があつたために右就労ができず、解雇以後賃金を得ることができないことが認められ、このまま本案判決の確定をまつていたのでは回復しがたい損害を受けることが明らかであるから、申請人が被申請人の九変会社への出向従業員として雇用契約上の地位を有することを仮に定め、被申請人に対して申請人に対する本件解雇後の賃金の支払いを命じる仮処分の必要性を肯定せざるを得ない。ところで、申請人本人尋問の結果および弁論の全趣旨によると本件解雇当時に申請人の得ていた平均賃金は一ケ月当り金三一、九〇〇円(解雇予告手当金額も右金額と同額)であつたこと認められるから、本件解雇の日の翌日たる昭和三八年一一月二七日から申請人が出向先の申請外九変会社から賃金の支払を受けるに至るまでの間毎月末日限り右同額の金員の支払いを命じる限度でこれを認めるのが相当である。

四  そこで、右の限度で本件仮処分申請を保証を立てさせないで認め、その余は失当として却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条、第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 谷野英俊 弘重一明 妹尾圭策)

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